凡骨の意地
2010.01.12 


 城之内克也は檻に入れられた熊のように部屋の中をぐるぐる巡っていた。
 腕を組み、顎に手をやり、爪先の少し前を見つめつつ、ソファの脇を通ってドアの前を過ぎる。絨毯の継ぎ目をたどりながら、主人のいない執務机の前まで戻ってくる。ちらりと机に目をやると、ふむと首をかしげ、また一歩、ゆっくりと足を進める。
 まず一つ目の問題は、と、城之内は考える。『誰宛てなのかってことだよな。』
 ソファの背をぽんと叩き、すでに暗い窓の外を見る。この部屋―カイバコーポレーション本社社長室―は、街でもとびきり高い位置にあるので、きらきらした夜景が美しく窓を彩っている。

 確かに今日、学校で、城之内は「バイト早上がりした後行くわ」と言った。言ったというか、すれ違いざまにメモを相手のポケットに突っ込んだ。今日のバイトはチラシ配りのための臨時の応援であったから、当初の予定通り、18時半には終わらせることが出来、城之内はせっせとこの街の城、もとい代表的企業の社屋までやってきた。
 余談だが、城之内はチラシ配りやティッシュ配りが得意である。あれは差し出す角度とタイミングにコツがあって、ついでにあんまりにこやかすぎてもいけないし、うるさすぎてもいけない。

 とにかく問題は、机の上のアレである。アレというのは、メモだ。昼に城之内が渡したものではない、KCのロゴが薄い青で入ったメモ用紙に簡潔に書かれたメモである。ノートパソコンの無い、どことなく足りない印象を与える広い机の真ん中に、ペン立てで重しをされた状態で置いてあった。

『20時には帰る 瀬人』

 3秒呆然とした後で、宛名くらい書けよ、と城之内は思った。

 まず、これが城之内に向けられたものかどうかだけれど、たぶんそうだろう。何故かというと、秘書の面々や磯野等、会社内の相手であれば、メールなりグループウェアなりで連絡を取ることができるからだ。モクバ相手でもそうだ。彼は小学生だが副社長であるから、当然専用の携帯を持っている。
 ここに来ることが予想され、しかもメモでなければ連絡を取ることができない相手、となれば、おそらく相手は城之内だけである。
 自分だけ、という響きは、城之内の胃をすこし熱くさせた。ついでに頬も緩ませたが、突き上げてきた恥ずかしさでその緩みは無理矢理に消された。17歳の少年には細々としたプライドがたくさんあるものなのだ。

 さて、これは城之内宛てで良いとする。そこで次の問題だ。城之内は歩き続けていた足を止め、その場でくるんと回ってみた。執務机が目に入る。机の上には、件のメモが置きっぱなしになっている。
 『瀬人』とあるのだから、もちろん海馬瀬人からの伝言であるのは間違い無い。でもなあ、と顎をさすりつつ、城之内は机に近付いた。首を伸ばし、しばらく迷った後、すばやくメモ用紙をペン立ての下から取る。間近で眺めても、そのぶっきらぼうな一文はまさしく海馬らしいものであり、口にするところまで想像できた。
 城之内は真横まで首をかしげる。メモ用紙を照明に透かしてみる。
「誰が書いたんだこれ?」
 つぶやきは静かに部屋へ拡散した。
 文字は丸かった。お世辞にもうまくはなく、バランスを取ろうとしてがんばっている、という雰囲気があった。ちょっと押したらうっかりこけてしまいそうな文字たち。全体が紙の左上に片寄っている。万事ががさつな城之内などは、たいした大きさの用紙じゃ無いのだから、もっと伸び伸び書きなぐればいいのに、と感じてしまう。
 そのくらい丸くて、ぶきっちょで、小学生が書いたようなかわいい文字だ。
「モクバ・・・?」
 文字の印象はあの弟に近い。でも『瀬人』なんて書くだろうか。『兄サマより』なんて書いてある方がそれらしい。
「かいば、か?」
 顔から腕いっぱいまで遠ざけて、小さな文字を眺める。
「・・・・・ねーよなー!ねーよ。」
 世界の海馬社長は、強いて女性でいうなら、美人、とかキレイ、とかそういうタイプだ。強いて、見た目だけで言うならば。すらっと高い背丈に、なめらかにカードを扱う指先。しかして中身は第六天魔王ともがっぷり四ツで組み合えそうな暴君だ。尊大な口調と乱暴な言動。
 この字はモクバだな、と城之内は結論づけた。きっと電話か何かで伝言を受けて、そのままを書いたのだろう。

+ + +

 指先で頭を小突かれて城之内は目を覚ました。起こした海馬は青い目をまたたかせただけで、すっと執務机の方へ歩いていく。
「オカエリ。」
 城之内は遠慮もなく大きなあくびを一つついた。
「遅えじゃん。待ちくたびれて寝てたぜー。」
「・・書き置きを残しておいただろう。」
 海馬の返答が随分苛立ったものに聞こえたために、城之内は慌てて時計を確かめた。かちり、と長針が動く。丁度20時だ。
「おう、わざわざ電話してくれたんだろ、サンキュな。」
「何の話だ。」
「へ?だから伝言・・・モクバに・・・。」
「モクバは出社日では無い!オレはここに!伝言を置いていただろうと言っている!チッ、誰が持って出たのだ、秘書課の新人か?!」
 海馬は、ここに、と言いながら指の背で甲高く机を叩いた。
「待っ・・・待てよ!伝言ってこれだろ?!ええとメモ・・・」
 もたもたと尻ポケットから財布を引っ張り出し、城之内は折り畳んでいたメモを広げ示した。
「これ!」
「・・なぜ財布などに入れている。」
「オレの勝手だろ!とにかくほら!これだよな?!」
 海馬はソファのそばまで取って返し、城之内の指先からメモをひったくった。
「ふぅん、あるのではないか。」
「なあ・・・それ、おまえが書いたのか?」
 海馬の目元の影が少し増えた。だが城之内はおかまいなく続けた。今、確かめずには帰れない。
「それおまえの字?」
 重々しく海馬が答える。
「そうだがどうした。」
「ウッソだろ?!!」
 城之内の叫びは勢い余って裏返った。
「嘘?」
 海馬の声はもはや地を舐めるほどに低いが、城之内は驚くことに忙しくて気付かない。海馬の手の中にあるメモに向けて、片手を伸ばし、空を掻いた。
「マジで?マジにそれおまえの字?なあ、返せよ。おい。あったんだからいいだろ?」
「ふん。」
 びりっ、と無情な音が響く。
「ッああああああああ?!」
 薄いメモ用紙は見る間にちりぢりの紙吹雪に変わり、ぱっと宙に舞った。城之内はソファから跳ね上がったが既に遅い。
「なんっ・・・なんでっ・・・てめえ、返せっつったじゃねーか!」
「帰れ。」
「は?!んだよおまえマジわけわからねー!」
「ヒトの好意を疑う輩に用は無い。」
「疑うぅ?!礼言っただろ!待ってろってことだったんだろ?!オレすげー嬉しくて」
「やかましいわ!!帰れ!!!」

+ + +

 誤解を与えてこじれてしまったらしい、と、ようやく城之内は気付いた。社長室を叩き出されてから実に一晩と半日が過ぎていた。海馬は欠席のまま放課後を迎えている。もっとも、1年の内、海馬が童実野高校に現れる日は、そうでない日よりも少ない。
 アルバイトに向かう足取りは重かった。城之内は手ひどく落ち込み、鉄の塊で出来た心を、足かせで括りつけて引きずりながら歩いているような気分だった。今の彼には、美しい夕焼けもバイト先で口にできるだろうまかないも、教室で配られるテスト用紙ほどに余所余所しい。
『こんなに好きなのに。』
 言葉は無力だと城之内は感じた。いや自分が駄目なのか、と思い直した。たった一月前に突然湧いて出た感情を持て余し、毎日きりきりと振り回されている。自身が押しつぶされそうなほどの好意の重さを、万分の一も相手に伝えることができない。
 好きだとは言った。1度目は冗談と思われて怒鳴られ、2度目はしつこいとジュラルミンケースで殴られかけ、3度目に胡散臭そうな目で真意を問われた。城之内が口にできる言葉はいつも一つしかなかった。

「どうしろと言うのだ。」
「どう、ってよ・・・」
「オレは貴様に興味を持てん。」
「うん・・・。」
「わかっていてなぜ伝える。」
「うるせえな。わかってても・・・言わねーと死にそうだったんだよ。」
「・・神の業火に打ち勝った男がか。」
「外から痛えのは慣れてら。」

 何故か海馬は城之内に、社屋への出入りの許可を与えた。

 夜更けの裏門を抜け、城之内は重たい足を引き摺りながらエレベーターへ乗り込む。頭では何度も帰ろうと思った。だが脚が言うことをきかない。
 震える指先を握り込み、社長室のドアをノックした。
「入れ。」
 海馬は城之内の姿を認めると、呆れた様子でフンと息を吐いた。
「懲りん奴だな。」
 すぐに書類へ視線を戻す。
「えっと、あの・・・」
「何だ。」
「怒ってねえの?」
 目を上げ、じろりと城之内を眺める。海馬は溜息と共にペンを置いた。
「何をだ。昨日の件か。」
「おう・・」
「腹立たしくはある、だから懲りん奴だ、と言っている。」
 城之内の舌は顎に張り付き動こうとしない。弁解したくとも、一体自分の言葉で伝わるものか、城之内には自信が持てなかった。
 ふいに、ばん!と激しい音が鳴る。海馬が拳で机を打った音だ。
「ええい!愚図愚図としおたれおって、尾を巻くなこの駄犬が!」
「誰が犬ッ・・・!」
「貴様だ!言いたいことがあるなら言わんか!」
「そりゃ・・・だから、昨日は!おまえの書き置きを疑ったんじゃねーよ!字が嘘だっつったんだよ!!」
「ええい日本語を話せ!オレは誤字など残さんわ!」
「うるせーちゃんと話聞けよ!えーあーだから、あの字!あれ全然おまえっぽくねーから、信じらんなかったんだよ!なんか丸っちいしよ。なんだあれ!おまえ急いだら丸字になんのかよ!って、あー!」
 城之内は足音高く部屋を横切り、海馬の隣に回り込むと手元に広がる書類を覗きこんだ。
「マジかあ・・・」
 昨日見たメモと同じ、癖のある丸字が、ちまちまと書類の端に踊っている。青いボールペンで書かれた文字はやはりどことなくバランスが悪く、そのくせ、隣のメモ用紙に書きつけられたフロー図は、乱雑であるのに堂々としていた。
「かっわいい字書くんだな。似合わねー。」
 ぽつりとこぼしたとたんに部屋の気圧が1つ2つ上がる。
「・・・・・貴様。」
「はいっ!」
「言い残したことはそれだけか?」
「っだってよ!コレ!オレの字なんか・・・おいペン貸せよ。」
「いらんわ!貴様の字は知っている!!」
「だったらしょーがねーだろ!!」
「千歩譲って達筆で無いことは認めてやる!!おぞましい単語を口にするな!似合わなくて結構だ!!」
 城之内はぱちぱちとまばたいた。間近に座る整った顔を見下ろす。
「キレイ、つーのはオッケーか?」
「何?」
「海馬、」
 仕立ての良いスーツに包まれた肩に手を置く。上質な織目の布は手のひらにさらりと馴染んだ。
「嫌ならさ、ぶん殴れよ。」
 海馬瀬人はいつも逃げない。
 自分よりも広い両肩を城之内は抱きしめた。強い勢いに椅子がぐらぐらと揺れる。それでも離すまいと力を込めた。筆跡すら知らないこの距離を埋めるのに、つたない言葉では足りないのだ。


 海馬は城之内を殴らなかった。
 不器用な丸字のメモは、その後も時々ポケットにねじ込まれたり、机の上に置かれていたりする。


End.

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元街 園/モウソウニューロン

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