混乱から幸せまで
2010.01.24 


「は?」
思わず呟いて、はっとした。そして見なかったことにし、そっと教科書を閉じた。

つい10分ほど前の話だ。俺は海馬に化学の教科書を借用した。化学の時間の度に借りに行っていると「教科書くらいいい加減買ってやるからもう来るんじゃない」とか言われた。「お前に会いに来るための口実だから」って言ったら海馬、真っ赤になってた。すげえかわいかった。

そんな感じにレンタルしてきた化学の教科書を開いてみれば、何かが視界の隅を横切って落下した。ひらひらと床に舞い降りたそれは小さなメモだった。くしゃくしゃっと丸めたものを再度広げたようなそれには、「20時には帰る」という短い文と少し離れた右側に「瀬人」いう名前が書き留められていた。

そして授業中、現在だ。
「は?」
思わず呟いて、はっとした。そして見なかったことにしてそっと教科書を閉じた。メモはもちろん元通りに挟んである。なんだよ。使用人のメモか何かかな。いや、使用人ならまだいいや。女子とか他のやつに貸した時に挟んだ海馬宛のメモとかだったらすげえむかつく。字から見ると多分女子だよな。うわあすげえむかつく。なんなんだよ。20時って。なんなんだよ。このメモ。しかも瀬人って。瀬人って呼んでるし。俺ですらまだ「海馬」なのに。名字なのに。ああくそ、むかつく。
「じゃあ四十五ページを……城之内、読みなさい」
当てられた。ついてねえ。俺は適当に流し読みしてからこっそり教室を抜けた。化学の教科書を持って。

「20時に帰る……」
校舎裏は日陰がたくさんあるから考え事には最適だった。涼しい。少なくとも教室よりはましだ。
夜の8時ってことは、家に帰るってことかな。海馬のところに帰るんなら、家か会社……。あ、これもしかしてモクバのかな。モクバから海馬宛の……でもなんで教科書に挟んであるんだ?
「だーくそ……わけわかんねえ」
よし、発想を逆転させよう。城之内克也。逆に考えるんだ。「瀬人」が宛名なんじゃなく、「瀬人」が差出人だと考えるんだ。
「………いやいやいやいやいや……」
ないない。この字はないよ。あいつに限ってこんな丸字とかありえない。ないないないない。
「ないない……」
「何がないんだ」
「いや、こんな字はかい」ばが書いたとは考えられない「って海馬!」
見上げたら海馬がいた。眼球だけを器用に動かして見下されていた。眉間に皺を寄せて、生ゴミを見ているようなすごい表情で見られていた。聞かれてたかな、今の。いや、ぎりぎり口には出してなかったはずだ。
「綺麗すぎるその字がどうした」
いやいやいやいやいや「ねえよ!」綺麗とかねえよ!お前目ぇ腐ってんじゃねえの「ばーか!」
「俺だ」
「は?」
「……俺だ」
「……は?」
日本語が崩壊したのかと思った。日本語という概念がたった今この空間から消え去ったのかと思った。違った。日本語が崩壊したんじゃなく、俺の理解が崩壊したようだった。
「俺の、字だ。俺が貴様に宛てた、メモだ」正しくは"宛てようか迷った"メモだがな。そう言った海馬は俺の手から教科書をひったくった。「もう貸さん。絶対貸さん。察しの悪い凡骨め」
あ、「もしかして。」

「誘おうとしてたの俺のこと」「今更気がつくようでは、やはり貴様は凡骨なのだ」「だけど俺ったら誘われちゃう」「では俺も誘ってやる」

(20時には帰る。黙って部屋にいろ)(了解。覚悟しろよな)(そのまえに教科書買ってやる)(それくれよ)(………構わん)


混乱から幸せまで


End.

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あしゅらこ様/猫箱

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