lovable letters
2010.01.27
二時間目が終ったあと、珍しくも海馬が学校に来た。
「よう海馬クン、学校では久しぶり」
「貴様は今日も馬鹿そうだな」
「うっせ。つーか今日来れないんじゃなかったの?」
「今朝の仕事が夕方に回った」
忌々しげに舌打ちをしたので、どうにもいい理由で夕方に回ったのではないらしい。下手に突っ込むと地雷を踏みそうなので(そもそも仕事の話などされても分からないのだが)、オレはふーん、と相槌を打ちながら、席につく海馬について行くにとどまった。
「あ、今日お前んち行っていい?つーか行くけど」
「構わんが…今日は帰りが遅くなるぞ」
「マジかよ。何時に――」
「ハーイ、授業はじめますよー」
帰ってくんの、と続くはずだった言葉は、教壇に立った先公の声にかき消された。何だよ、来るのはえーよ。それでも構わずもう一度口を開いて言葉を紡ごうとしたのだが、目ざとくもその教員は「ほら城之内、席についたついた」と名指しでオレを呼ぶものだから、結局海馬とそれ以上の会話は望めなかった。まぁ席は近いから、授業中に隙を見て話しかければいいかと思ったので、今回は大人しく引き下がる。そんなに急を要するものでもなかったし。
日直の号令を聞きながら、机の中から教科書とノートを取り出す。どちらも新品のようにぴかぴかである。別に買いなおしたとかそういう事でなく、単純に開いてないからだ。オレのこの美しい教科書を見た海馬は、「城之内に教科書、か…」と呆れ顔で呟いたものだ。どういう意味だ。豚に真珠、とでも言いたいのか。残念ながらその通りなので否定できないけど。
そういえば。
オレは再び机の中を手探りであさった。感触だけで上質そうなものを選び、えいやっ、と取り出す。出てきたものは、まぁ普通の紙だった。よくよく見れば数学のプリントっぽかったが、わら半紙でなく結構きれいな紙に印刷されている。オレはその(プリントにしては)上等な紙を適当に半分に切り、筆箱からおもむろにシャーペンを一本取り出した。
城之内に教科書、プラス、城之内にプリント、ってな。
(海馬ー)
先公にばれないよう小さな声で名前を呼んで、こっちを向いたと同時に小さく畳んだその紙切れを投げた。
突然投げられて一瞬驚いたような顔をした海馬だったが、難なくキャッチするあたり流石である。不思議そうに首を傾げていたが、それを広げてようやく合点がいったらしい。
懐かしいな、と思う。
小学生の時、授業中にこっそりと伝言メモをまわしたものだ。あの時は内容どうこうでなく、クラス全員にまわったら勝ち、途中でみつかったら負けという、ただのゲームになっていたけれど。
それにしても、目の前で手紙(と言うよりはただのメモにも近いが)を読まれるのってどうしてこうも気恥ずかしいんだろう。「何時に帰ってくんの?」、そのたった10文字なのに。
再び顔をあげた海馬に、「書いて渡してよ」とジェスチャーで伝える。下らん、とでも言いたげに顔を顰めていたけれど、暫くしてその紙切れにペン(海馬はいつも万年筆を使う)を滑らせ始めたのを確認し、オレは一人でこっそりと笑った。
返事は思いのほか早かった。そして痛かった。どういう意味かというと、海馬の投げたそれがオレの額にクリティカルヒットしたのだ。狙って投げているから質が悪い。当たったの確認してアイツ笑いやがったし。できる事ならその場で文句を言ってやりたかったが、授業中なので我慢した。オレってば偉い。
アノヤロー、と内心で悪態をつきながら、渡された(というか投げつけられた)紙切れを広げていく。
飛び込んできたその中身に、オレは大層面食らった。
いや、別に内容は普通なのだ。特に変な事が書いてあるわけでもなく、「20時には帰る 瀬人」っていう、むしろオレより簡素な7文字だった。珍しく下の名前が書いてあるのはたぶん、オレが「克也」と署名したからだろう。海馬宛てだと分かっているのに、つい親父にメモを残す時の癖でそう書いてしまったのだ。それにあわせてくれたのならまぁ律儀な、っていうか突っ込むところは正直そこではない。
確かに瀬人って名前にちょっとドキッとしたりとか、8時じゃなくて20時って書くのが海馬らしいなとか、思うところはあったのだけど、いやいやそれより何より。
―― 汚い、っていうか…丸い?
注目すべきは、文字そのものなのである。
なんですか、この字たちは。そういえばいつもメールとか電話とかで連絡を取っていたから、海馬の手書きの文字を今まで見た事がなかった。いや、見た事はあったんだけど、それは英語だったのだ。書類や手紙の最後に、さらさらっときれいな筆記体で書かれた「Seto Kaiba」って文字。それはもう見事な文字だったので、自然と日本語もあんな感じなんだろうと、そう勝手に脳が認識していたのだ。
ところがどっこい、まさかこんな、なに、ぶっちゃけて言えば可愛らしい丸文字をお書きになられるとは。ていうかこれホントに海馬が書いたの? 隣の女子に書かせたとかじゃなくて? マジであいつこんな字なの?
文字を見つめながら海馬以外の人間が書いた可能性を追求してみたけれど、結果はどれも可能性ゼロ。つまり、これは間違いなく海馬自身が書いた文字だと、オレはそう判断した。
ていうか、これ、ヤバイ。
―― すっげー可愛い…!マジ可愛い、可愛いぞ海馬!
暫くの間、オレは内容よりも文字そのものの可愛さにやられて仕方がなかった。どれくらい仕方がなかったかと言うと、先公に教科書を読むように指された時、咄嗟に
「ハイ、可愛いです!」
とか口走ってしまったほどに仕方がなかった。仕方ないっていうか、ただの馬鹿だ。当然のようにクラスメート全員に笑われ、そして海馬には冷ややかな目で見られたが、そもそもお前のせいなんだっつーんだよコノヤロー。
「ノート見せて」
授業終了と同時、海馬の席にすぐ向かったオレはそんな事を言ってみた。メモを書いてたら授業を聞き逃した、なんてそれっぽい理由を添えて。けれど途端に眉間に皺がよせられる。
「…嫌だ」
「なんでよ、見せろよ」
「嫌だ」
「いーじゃん」
「嫌だ!」
「じゃあ見せなくていいからさ、オレのノートに名前書いてくんない?日本語で」
日本語で、という一言で、オレの意図するところを完璧に読み取ったんだろう、手にしていた教科書で思い切り頭を叩かれた。しかも平らな面でなく、分厚い教科書の角っこで。
そりゃあもう痛いの痛くないのって!
さっき額に当たったやつの比ではない。数十倍以上は痛い。
「お、おま、痛ぇだろ!頭に穴あいたらどーすんだ!?」
「喧しいわ!穴の一つや二つあけて換気でもしろ!」
けれど人間ってのは不思議なもので。
こんなに怒りくるっている海馬を見ても、さっきの文字を思い出すだけで可愛く見えてくるんだからすごい。
そんなに怒っちゃっても、文字は丸いんだろ。オレ、知ってるんだぜ。
「あーもー可愛いなぁ海馬は!」
「マゾヒストか貴様は!馬鹿にするな!死ね!」
「馬鹿にしてねぇよ、可愛いって言ってんじゃん」
「それが馬鹿にしていると言うのだ!」
だから馬鹿にしてねぇって。
愛しいんだっつの、お前の事がよ。
End.