Conciliated signature
2010.01.29
七時、日曜のバイトを終えて海馬の会社に寄ってみたら、すごい忙しそうにしてて、俺は部屋に入るなり物凄い顔で睨み付けられた。
確かに鬼の形相だったが、俺にはその顔に微妙に疲れが滲み出ている事の方が気掛かりだった。こいつはいつも人に弱みを見せまいとすましかえった顔をしているのでその変化は本当に微々たるものだったが、俺には分かる。かなりまいっているようだ。俺は海馬の目線に憶すること無く声を掛ける。ガン飛ばしくらい慣れてるしな。
「よお海馬!あんまり根を詰めすぎるとよくないぜ!」
「お気楽な凡骨が。貴様の仕事が終わったからといって俺が仕事を邪魔されるいわれは無いわ。」
あれ、目付きの割にあんまり怒ってないみたいだ。ほんとに怒ってたらろくに口をきいてくれない。
「つってもな〜体壊したら元も子もないだろ?ほら〜疲れて字ヘロヘロになってんぞ!!こんなの提出出来ねーだろ?それに、海の字違くね?絶対お前疲れてるって!!」
「……………」
いきなり海馬が黙りこくった。と思ったらまたこちらを睨み据えてくる。
「…貴様もあの部下共と同じ事を言うのだな。」「へ?」
今度は本当に怒っている。俺には分かる。なんせ俺と海馬の仲だからな。 でも部下と同じ事って根を詰め過ぎんなよって話?そりゃ心配するだろ。海馬は口出しされるのが気に入らないかもだけどさ。
「俺だって心配してもいいだろ〜?」
「馬鹿者が!!俺の字を馬鹿にした事を言っているのだ!!」
「へ?」
ああ、ヘロヘロって言ったことか。しかしそれ位でここまで怒るなんていくら海馬でもおかしい。あんまり機嫌悪くないかと思ったが、やっぱりかなりきてる。
「悪かったって。そんなに怒るなよ。」
「俺は疲れてなどいな…んっ!!」
俺は海馬の機嫌をとろうと、こいつの好む深くて長いキスをしてやった。
「んん…んっ!…ふぅっ…んんっ…はぁっ…」
海馬の目は熱に浮かされて潤んでいる。頬も耳も紅く染め上げている。これでほだされてくれるかと思ったんだ。しかし海馬は次の瞬間先程までの鋭い目で俺を睨んだかと思うと俺を思いっきり殴った。
「…ってぇな!!!」「貴様ごときがっ…この俺を馬鹿にして気分を害させた上にそれをこんな浅はかな手段で誤魔化すのか!!!貴様は犬以下だ…!!」
俺は殴られて腹が立たなかった訳では無かったが、海馬は疲れているんだ。つとめて冷静に接した。
「海馬お前くだらねぇ事で熱くなりすぎだぞ。ストレスたまってんだから発散しねえと…」
「ああそうだな。いますぐ貴様のくだらん提案に乗ってやるわ!!!」
そう言うと俺を思いっ切り突き飛ばして出口の方に行ってしまった。
「おい海馬!!」
「ついてくるな!!!ストレスを発散しろと言ったな。貴様の面を見ていると溜まる一方だ!!!」
…出て行ってしまった。それにしてもひどい言い草だ。
「…しっかり感じてたじゃねえかよぉ。」
…俺には分かる。
いつ頃戻って来るだろう。いくら喧嘩をしたからといって仕事を放り出して出て行くなんてあいつらしくない。取り残された部屋でぼんやりしていたら、屋敷の使用人が部屋を訪れて、一枚のメモを寄越してきた。海馬からの伝言らしい。どんな罵り言葉が書いてあるのかと思うと溜め息をつかずにはいられない。しかし俺の想像とは裏腹に、メモにはこう書かれていた。
20時には帰る 瀬人
俺は拍子抜けしてしまった。あれだけ怒って出て行ったのに、丁寧にもメモを寄越す海馬に。改めて見た海馬の字が、丸っこくて可愛らしい、ぱっと見女子の字と見紛うような形だったことに。そうか…海馬って元々こういう字なのか。で、それを気にしてるとこに俺があんな風にいっちゃったと…。この字とか。しかも気にしてるとか。可愛いい可愛い可愛いすぎるあああどうしよう。俺は何もかも忘れて海馬の字を見つめていたが、文末の「瀬人」をみて固まった。
俺はそういう時だけは海馬を下の名前で呼ぶ。いつも恥ずかしがってる癖にどういうつもりだよ。それを思い出すとどうしてもその時の海馬の様子を思い出さずにはいられない。くそっ俺にお預け食らわせて仕返ししてんのか。
それでもこの悪のない字を見ると、どうにも怒る気にはなれず、40分後の事を考えてはニヤニヤしてしまうのであった。
End.