アナログ
2010.02.02 


「凡骨、これをやろう」
 海馬が俺にくれたのは超高性能の最新式ケータイでした。これにキシュヘンしろってことだろうけど俺そもそもケータイ持ってないしってか実はイエデンも止まってるんだけど。そしたら海馬は不機嫌もあらわに俺の腕をむんずとつかみ、おいおいコイビトどうしのデートなら手を握るもんだろこの照れ屋さんめ〜といちゃこらする暇もなく俺は近所の携帯ショップに放り込まれました。


 次の日、既に薄暗くなった時刻に城之内がバイト先に向かっている途中、いきなり海馬が現れた。相変わらずの神出鬼没、いやもしかして俺に発信器でもついてんのか? この前肩に噛みつかれたときにマイクロチップを埋められたのか? と一人で思案していると海馬は胸元からケータイを取りだし「電話番号とメールアドレスを教えろ。待っていたんだぞ」と言った。えっ、そのためにわざわざ待ってたのか。俺って意外と愛されてるのかも。
 仕事しろよ社長〜と照れ隠しに毒づいて、心臓バクバクさせながら余裕たっぷりに「メアドとか、まだ覚えてないし」と言ってやった。海馬は眉間の皺を深くする。
「赤外線があるだろう。なんのためにわざわざ俺が出向いてやったんだ」
「あ、ゴメン。ケータイいま持ってない」
 海馬は携帯を握ったままその手で城之内を殴り付けた。
「いってぇ! 何すんだよ!」
「携帯電話を携帯しないとはいい度胸だな……」
 絶対零度の視線が容赦なくつきささり、城之内はようやく身の危険を感じていつもの通り口数多く弁解を始めることとなった。
「あれな、うん。ケータイ、家に置くことにした。昼は親父が使ってる。ブラウン管よりずっとキレーに映るワンセグがすごいって。けどネットとメールはロックかけといたから大丈夫。金払うのどうせ俺だし、」
「キサマの家庭事情など興味はない!」
 海馬の怒りの握りこぶしに、彼の手の携帯電話はひしゃげてしまいそうだ。海馬の握力はけっこうやばい。その手で頸動脈をせき止められそうになったこともある城之内はケータイが他人事のように思えない。
「海馬、ゴメン、ゴメンって。夜に電話する。メールもする。お前のアドレス教えてよ」
「もういい。やはり頭の足りぬ駄犬に分相応でない高水準電子機器を与えたのは間違いだった。これは手切れ金だ、せいぜい達者で暮らせよ凡骨」
 完全に血の気のひいている城之内に海馬は容赦なく暴言を吐き、ミシリと嫌な音をたてたケータイを胸元に戻し代わりに何やら小さい紙片を取り出した。城之内はもう最悪な予想しかできない。海馬がそれを指ではじくのと同時に黒塗りの高級車が路肩に止まり、泣き出しそうな哀れな犬を一瞥することもなく飼い主はその場を離脱した。
「……はあ……」
 ため息をつきながら紙片を拾い上げるとそれは思った通り小切手で、Seto Kaibaの字が嫌味なくらい達筆で書かれていた。


 そしてまた次の日である。さすがに昨日の今日じゃ海馬は会いに来ないな、と安心したような物足りないような気持ちで城之内は学校帰りの道を歩いていた。今日はバイトがないから食料品の買い出しに行こうか、などと思いつき、財布の中身を確かめようとポケットに手を入れると昨日しまいっぱなしだった小切手が出てきた。
「どうすんだよコレ……。って、あれ?」
 何気なく裏返したそこに、薄く鉛筆で何かが書かれていた。昨日は暗かったから見えなかったのだろう。よくよく見るとそれはアルファベットの羅列で、英語の呪詛か罵詈雑言かと思ったがどうも違う。だってアットマークが見えるではないか。これは、これはもしかして。
 城之内はまっすぐ家に向かって走り出した。


 ワンセグで競馬を見たいという父親をなだめすかし、ケータイと充電器を持って俺は自室に駆け込んだ。走り書きの筆記体をどうにかこうにか解読する。
 さて、コイビトへの初メールだ。なんて書こうか、と気合いが入るがとりあえず素直に謝っておこう。慣れない文字入力に苦戦しつつ、短い本文を書き上げる。

 昨日はごめん。
 メール遅くなってごめん。
 今日はいつ仕事終わる?
  かつや

 ひらがなの署名をつけたのは、まあ、この方がコイビトっぽいかな、と思ったから。ほんとはハートの絵文字やらなんやらつけたいのをこらえて送信を完了する。
 海馬は仕事中だろうから返信は遅くなるかもしれない。そういえば今日の夕飯は何にするか、と腰をあげたところでケータイの液晶がぱちぱちと光った。
「来た……っ」
 震える手でメールを開く。差出人、海馬瀬人。タイトルなし。添付画像が1つ。それは白い紙にペンで書かれたメモを、ケータイのカメラで撮ったものだった。

 数字キーが壊れた。
 20時には帰る。
  瀬人

 そしてメール本文には定型文から貼り付けたと思われる電話番号11桁。やっぱり昨日のアレで海馬の哀れなケータイは相当のダメージを受けたようだ。数字キーゆがむとかどんだけ。しかしそれでも律儀に返信してくれるなんて優しいじゃないか。そして署名の「瀬人」! 考えてみるとかわいらしい名前だよな、「海馬」じゃなくて「瀬人」って呼んでみるのもいいかもしれない。……いや、その前にまず、これは、この字は海馬の直筆だよな? そうとしか考えられないのに信じられなかった。だって字が、違いすぎる。俺の知ってる海馬の字はあの憎たらしい筆記体しかない。英語と日本語でここまで筆跡変わるものなのか。まるで幼子のような字を見つめてしばらく放心した。
 覚め遣らぬ興奮のまま海馬に「お前の字かっわいいな!」とメールを送り、そのあと少し間をおいてこっちの電話番号を載せてもう一通送る。
 すると仕事中だろうに海馬から電話がかかってきて「調子に乗るな凡骨が」と怒鳴られる。しかしどすの利いたこの声も、脳内でかわいらしい丸字に変換されるのでまったくもって苦にならない。
「字だけじゃなくて、ぜーんぶかわいいぜ、瀬人!」
 受話器にちゅっと口づけるとその水音はあちらまで届いたようで、あからさまに動揺した声で「ばかめっ」とか言って海馬は電話を切ってしまった。
 8時過ぎにまた電話すればいいか、と俺は夕飯の買い出しに出かけることにして、ついでに写真屋に寄り海馬の直筆画像を2Lサイズで印刷してやった。ほんとは直筆の紙媒体が欲しいのだけれど、あのメモはきっと海馬の照れ隠しでもう既にひねり潰されびりびりに破かれてしまっているに違いないのだ。


End.

厘様

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