誓いの一文
2010.02.05 


 インターフォンが鳴って、取り上げた受話器から聞こえて来た声にビックリし、急いで玄関まで走ってドアを開けたら、目に入って来たのは二年前に別れた元恋人の姿だった。
 二年ぶりに会ったっていうのに全然懐かしい気がしないのは、多分テレビや新聞でしょっちゅう姿を見かけているせいだ。それはまぁ…どうでもいいんだけど、何でこんな所にいるんだ…? そんなデッカイ荷物を持って。だって今コイツは…。

「お前…何やってんの?」

 約二年ぶりの会話の口火は、こんな疑問で切って落とされた。

「何やってるとは何だ。恋人がせっかく会いに来てやったのに、失礼な奴だな」
「元恋人だろ? 間違えんな。つーか、何でここにいるのよ。お前は今、アメリカにいる筈だろ?」

 そうだ。コイツは…海馬はアメリカにいる筈だった。

 今から二年前、オレ達がまだ高校生だった頃。オレと海馬は恋人として付き合っていた。恋人と言ってもそんなに長い付き合いでは無く、期間にして約三ヶ月ちょい位の短い間だったけど。でもその時はそんな短い間でも凄く楽しかったし、それに何より幸せだった。恋人になっても喧嘩はしょっちゅうやってたけど、友人でも何でも無かった頃に比べれば、ちょっとした喧嘩なんて可愛いもんだったよ。ちょっと時間を置けばすぐに頭が冷えて、お互いに歩み寄る事が出来たんだからな。
 そんな幸せな時間がプッツリ切れてしまったのは、卒業まであと半月って頃だった。

『アメリカに行く』

 夕暮れの教室で、海馬が静かにそう言った。
 驚きで目をまん丸にしたオレとは対照的に、海馬は目を細めて夕日に照らされているオレを見ている。

『暫く向こうで事業に専念するつもりだ』
『暫くって…どれくらいだよ』
『二年か…三年か…』
『三年…っ!? そんなに!?』

 咄嗟に頭の中で三年という時間の長さを測ってみた。
 三年…三年…。オレがこの高校にいた時間と同じくらいの…長い時間。

『城之内…』

 余りに突然の事に打ちひしがれているオレに、海馬はあくまで冷静な声で呼びかける。

『三年間…待てるか…?』

 その問い掛けに、オレは無意識に首を横に振った。
 三年間なんて…。そんな長い時間、一人で待てる筈ないだろう? オレが寂しがり屋だって知ってる癖に。何でそんな意地悪言うんだ。今だってなぁ…一週間会えないだけでも辛いんだよ。本当だったら毎日会いたいくらいなんだよ。
 それが…何で三年間も待たなきゃいけないんだ…っ!
 思わず吐露した心情に、海馬は深く溜息を吐いた。そして『そうか…』と酷く残念そうに呟く。

『ならば仕方が無い。恋人関係は一時解消しなくてはならんな』

 こうして海馬は『別れる』という結論を出し、オレは捨てられ一人日本に取り残されたのだった。



 あれから二年、当初言っていた三年には一年ほど早いが、海馬はオレの目の前に現れた。
 確かに二年だか三年だか言ってたけど、別に約束も何もしてなかったからこの登場はまさに予想外で本気で驚いた。
 ていうか、さも当然な顔して家に上がり込むな!! 昔は恋人だったんだろうけど、今は他人なんだからな!!
 大体何でオレのマンションをコイツが知っているのかが不思議だ。このマンションは高校卒業後、就職して金を貯めたオレが父親から独立して借りた部屋だった。卒業直後にアメリカに渡った海馬が知っている筈が無い。それなのに何でここにいるんだろうか…? しかも全然平気な顔をして。

「ふむ…。貴様にしてはまぁまぁな部屋だな」
「おい。勝手に入り込むなよ」
「いいではないか。どうせ今日からオレもここで暮らすのだからな」
「………はい?」
「アメリカでの事業も一段落したし、オレも日本で落ち着ける事になった。という訳で恋人関係復活だ。これから宜しく頼むな、城之内」
「え…? え? え? えぇぇっ!? ちょ…ちょっと待て!!」
「何だ? 何か不都合があるのか?」
「不都合っていうか…っ。突然そんな事を言われても心の整理が…っ」
「そんなもの、後からゆっくりつければ良かろう。どうせ今は女もいないのだろう?」
「っ………!? な…なんでそれを…っ!?」
「甘いな城之内。オレを誰だと思っている」

 腕を組んで得意そうに鼻を鳴らす海馬は、二年前と何一つ変わっていなかった…。
 そう、確かにオレには彼女がいた。
 海馬とは正反対の可愛い女の子。背が低くて全体的に小さくて、髪の毛が長くてフワフワで、その割りに胸が大きくて、明るくて優しくて何より可愛らしかった。
 本気でオレの好みだったんだけど、人生って奴はそう上手くはいかないらしくてさ…。一年ほど付き合ったけど、三ヶ月前に別れた。別れたっていうか…正しくは捨てられたんだけど。
 どうやら海馬はオレの情報を完璧に調べ上げてきたらしい。どうりでこのマンションの場所もバレている筈だ。

「彼女と別れたのを知ったから戻って来たのか?」

 呆れたようにそう言うと、海馬は振り返って黙ってオレの事を見詰めていた。目を細める仕草が、二年前のあの日とダブる。

「オレが彼女と別れてなかったら、どうするつもりだったんだ? それでも戻って来たのか? それともまだあっちにいたのか?」
「………」
「どうなんだよ」
「さぁな…」

 ちょっとムカついてわざと意地悪な質問をしたけど、海馬には全く効かなかった。肩を竦めて簡単にはぐらかされてしまった。ふぃっと横向けられた顔に、盛大に溜息を吐く。こうなると海馬はもう何も言わなくなるのを知ってたから、オレもこれ以上は突っ込めない。
 オレが諦めたのに気付いて、海馬は安心して床に荷物を広げ始めた。嬉々として自分の荷物を整理している海馬を見ながら、オレは苦笑してしまう。
 あれから二年も経っているのに、海馬の癖を覚えていた自分が…何だか可笑しかった。





 こうして海馬はオレと一緒に住むようになった。
 海馬本人の口から『恋人復活』という単語が飛び出していた為、やろうと思えばキスもセックスも出来たんだろうけど、オレ自身の気持ちの整理がついて無かったからそういうのはまだ一度もしてなかった。
 ただ一緒に寝起きして、食事して、お互いの会社に出掛ける日々。最初はギクシャクしていた関係も、日が経つに連れて段々と慣れてきた。今では海馬がこの部屋にいるのが当然のようになってしまっている。何の不自然さも感じないのだ。
 だからこそ…余計に感じる違和感。
 海馬が未だオレの恋人じゃ無い事が…とても変だと感じるようになっていた。


 ある日の事。その日は日曜日で、オレは久々の休日に浮かれていた。ここのところ業務が忙しく休日出勤とかで休みが殆ど潰れてしまっていたから、朝からのんびり過ごせるのが嬉しくて堪らなかった。
 朝起きて、顔洗って、朝飯食って、パジャマ代わりに着ているスウェットのままテレビの前に座り込んだ。一ヶ月半程前に買った新作のRPGを忙し過ぎてプレイ出来てなかった為、今日は気合いを入れてやるつもりでいたんだ。
 やっとプレイ出来ると言う嬉しさでニコニコしながら必死になってやってたら、海馬はテーブルの上にノートPCを広げたまま、黙ってプレイ画面を見ていた。たまにオレが謎解きに詰まると、ちょいちょいとアドバイスをくれる。何でそんな事知ってんだって訊いたら、発売当初にモクバと一緒にやって終わらせちまったんだと。三日でクリアってどういう事だよ。RPGはもっとゆっくり楽しむもんだ。
 そんな事を思いながらも、こんな風に海馬とゆったりとした時間を楽しめる事が嬉しかった。なんだか凄く幸せを感じてしまって、オレは自分の心の整理がつき始めている事に気付き始める。それが決定的になったのは、その日の夕方の事だった。
 朝からずっとやってたゲームを一時中断してトイレに行こうとした時、テーブルの上で海馬が何かを書いているのに気付いた。何気なく覗き込んでみると、それは買い物のメモだった。

 牛乳
 食パン
 玉葱
 ほうれん草
 ベーコン
 味噌

 …と書いてある。
 あーもう味噌切れたんだなーなんて思いながら、何だかその文字に違和感を感じて立ち止まってしまった。

 あれ? コイツの字ってこんなんだっけ?

 そう思いながらもう一度よく覗き込んでみる。再生紙のメモ帳に書かれていたその字は…見事なまでの丸文字だった。細長い繊細な指先から生み出される、まるで女子高生が書くような可愛い丸文字。角とかがくるんってなってて、全体的に丸くて可愛らしい。
 そう言えば…と、二年前の事を思いだした。オレは一度だけこの字を見た事があったのだ。


 二学期の期末テストの後の補習。オレは赤点を取った為、海馬はテスト当日に重要な会議があったせいでテストを受けられなかった為に、二人揃って補習を受けていた。最後の仕上げにプリントを一枚埋めなければならなくて、頭の悪いオレは当然それに悪戦苦闘していた。
 当たり前のように海馬はさっさと終わらせてしまったんだけど、いつまで経っても終わりそうにないオレに同情したんだろう。最後まで一緒に残ってくれて、本気で分からないところは丁寧に教えてくれるという親切振りを発揮していた。
 プリントの端っこに書かれるアドバイスの文字と数字。その時も確かに可愛く丸まったその字に違和感を覚えたんだけど、目の前のプリントを片付けるのに必死でそれどころじゃなくて…。
 結局その日はヘトヘトになって帰って海馬の丸文字の事なんて忘れてしまっていたし、その後はクリスマスだ正月だと海馬が忙しくなって共に過ごす時間が減り、更にその後は…言わずもがなだ。

「何だ?」

 オレがじーっと買い物メモを見ている事に気付いたんだろう。いつの間にか海馬が顔を上げて、オレの事を訝しげに見ていた。

「いや…買い物メモ…」
「あぁ、これか。買い物するものを予めメモしておくと、余計なもの買わずに済むだろう?」
「うん…まぁ…そうだな」
「何か買いたい物があるのか?」
「あ…いや、そういう訳じゃ無いんだ」
「………?」

 海馬が意味が分からないというような感じで首を傾げる。
 味噌の後に洗濯洗剤が付け足されるのを見ながら、オレはそう言えば前の彼女もこんな事してたなー…なんて思い返していた。


 海馬とは違う丸文字を書く女性だった。如何にも女の子らしい可愛い文字。よくこんな風に買い物メモを書いて出掛けていた。
 最後に彼女の文字を見たのは別れた時。

『買い物に行って来ます。20時には帰るからね』

 テーブルの上に置かれたメモ。それを信じて待っていた自分。
 けれど彼女は、二十時になっても戻って来なかった。『20時』って書いてあっても今日の『20時』じゃ無いのかもしれない…なんて物凄く馬鹿な事を思いながら、それでも彼女を待っていた。けれど次の日の二十時にも、その次の日の二十時にも、彼女は帰って来なかった。
 三日目。携帯に『ゴメンナサイ』という件名で彼女からのメールが入った。長々としたメールには『他に好きな人が出来た』とか『その人と付き合う事になった』とか『黙って出て来てゴメンね』とか色々書いてあったけど、最後の方に『優しい克也君なら、またすぐに新しい彼女が出来るよ』と書いてある辺りで読むのを止めてしまった。
 その時点で彼女の事はどうでもよくなっていたので、貰ったメールを即削除し、彼女の番号もメールアドレスも同様にその場で削除した。
 何か怒りを通り越して呆れてしまっていたんだと思う。裏切られたと思う反面、どうでもいいやと感じていた。
 恋人に捨てられたのは人生で二度目の経験で…。だけどその時、オレは思い出していた。高校の卒業式の半月前。海馬に捨てられた時の事を…。
 どうでもいいやなんて思えなかった。悲しくて悲しくて、暫く落ち込んで立ち直れなかった。
 彼女に捨てられた時、そこまで悲しくならなかったのはやっぱり本気で彼女を愛して無かったのかなーなんて思う。だってオレが本当に愛したのは…たった一人だけだったから。

「何なんだ…。買いたい物があるのなら言え」

 相変わらずじっと買い物メモを見詰めていたら、可愛い丸文字で洗濯洗剤の下に入浴剤と書き加えた海馬が、不快そうに見返してきた。その顔に笑い返してオレは首を横に振る。

「いや、大丈夫。特には無いよ。ていうかちょっと待ってて。オレも行くから着替えてくる」

 未だ訝しげな顔をしている海馬の頭をクシャッと撫でて、オレは着替える為に自室に戻った。スウェットを脱いでジーパンに履き替えながら「買い物に行っている時に一人で待っているのは苦手なんだよ」と小さく呟く。勿論その声は海馬には届かないのだろうけど、オレは言わずにはいられなかった。





 こうして海馬への気持ちを深めていったオレだったけど、よく周りを見渡して見たら随分とあの可愛い丸文字に囲まれて暮らしている事に気が付いた。
 買い物メモに始まり、ちょっとした注意書き。オレへの伝言。自分のアイデアの箇条書き。冷蔵庫には休日のスケジュールやゴミ出しのメモまで貼ってある。
 毎日少しずつ増えるその文字に、オレは何だか安心した。その丸文字を見る度に、海馬がここにいるんだなぁ…って実感出来たから。
 いつもの海馬からは全く想像出来ない、意外な程の丸い文字。だからこそ、余計にその文字が大好きになった。海馬の全てを表しているようで愛おしかった。その文字に包まれて生活する事に、オレは幸せを感じていたんだ。


 次の週の日曜日、いつものようにゲームに勤しんでいたら会社から電話が来た。何でもマシントラブルを起こしたから今から来てくれという内容だった。酷く面倒臭かったけど仕方が無いからゲームを切って、会社に行く準備をする。海馬に「夕方には帰って来るから」と告げると、ニコリと微笑まれて「夕食を作って待っている」と言われた。その笑顔が本当に綺麗で可愛くて、オレはそれだけで幸せ一杯になってしまう。
 休日に急に呼び出された不機嫌なんて何のその。オレは幸せ気分続行のまま作業に掛かり、本来なら三時間ほど掛かる作業をたったの二時間で終わらせてさっさと会社を出た。途中、駅前で見付けたケーキ屋さんで苺の載った可愛いショートケーキを二つ購入し、浮き足立ちながら家に帰る。
 まるで奥さんが待つ家庭帰る新婚ホヤホヤの旦那さんみたいだなーなんて思っちゃったりなんかして、自分でも馬鹿だなーってにやけてしまった。そしてケーキを大事に抱えながら、オレは密かに決心していた。

 帰ったらちゃんと言おう。もう一度恋人になってくれって…オレから言おう。

 ずっと好きだったんだって告白したら、海馬は一体どんな顔をするんだろう。そう思ったら、一秒でも早く海馬に会いたくて堪らなくなる。
 早く早く家に帰らなくちゃ。あともう少しだ。この坂を上ったらマンションが見える。玄関ホールに入って…エレベーターのボタンを押して乗り込んで。上昇してそして停止したエレベーターから一歩足を踏み出せば、自分の部屋のドアが見える。鞄から鍵を取り出して、ノブを回して…。

「海馬…っ!」

 ドアを開けるのと同時に大声で名前を呼んだ。けれど、それに答える声は無かった。
 部屋の中はシンとしていて、人の気配が全くしない。靴を脱いでリビングに入ると、いい匂いが漂っている。コンロの上に置いてある鍋の中には作りかけのスープがあり、これから使う予定の調味料も綺麗に並べられていた。
 料理…まだ途中なのにどこに行ったんだろう…と気になり周りを見渡してみると、テーブルの上に一枚のメモが残されているのに気が付く。

『20時には帰る 瀬人』

 手に取ったメモには、あの可愛らしい丸文字でそう書いてあった。
 あれ…? と思った。
 何だか背筋がゾワッとした。心臓がドキドキする。頭がカッと熱くなってこめかみがピクピクした。
 何で…? 何でだ…? 何でこんなに不安なんだろう…? これはただのメモ。オレに宛てた伝言。『20時には帰る』って書いてあるんだから、きっと『20時』には帰って来る筈。大丈夫…。海馬は約束を破ったりしない。きっと大丈夫。絶対帰って来る。帰るって書いてあるんだから帰って来る…っ!
 そう信じたい筈なのに…オレの身体は不安感で全く身動き出来なくなってしまった。椅子に座り込んでテーブルに突っ伏す。
 大丈夫…大丈夫…と必死になって自分に言い聞かせた。背後の壁に掛けられている時計のチッ…チッ…という秒針の音が、やけに大きく聞こえる。

 時計…あぁそう言えば時間…今何時だろう。会社を出て来たのが確か六時過ぎで…普段なら三十分くらいで帰れるけど…。でも今日は途中で寄り道してケーキ買ってたから、もうちょっと遅い筈だ。となると七時前…かな。七時…という事は、まだ一時間以上あるのか…。八時…八時まで…あとどれくらいなんだろうか…。

 ちょっと起き上がって振り返り、壁の時計を確かめればいいだけだ。もしくは自分の腕に嵌めている腕時計を見ればいいだけ。それだけなのに…オレは怖くて時間を確かめる事が出来なかった。
 怖い…怖い…怖い…。海馬に置いて行かれる事が…怖くて堪らなかった。

 帰って来いよ…っ。ちゃんと…ここに帰って来いよ…っ!
 彼女に捨てられた事は、もうどうでもいいんだ。あんな事、大した事じゃ無い。
 だけどオレは…っ! お前に二度も捨てられたらきっともう立ち直れない…っ!! 生きていけない…っ!!
 お前じゃないと…ダメなんだ…っ!!

 ギュッと身体を硬くして、時間が過ぎるのをじっと待つ。もう『20時』になったのか…? それともまだか…? まだ全然時間が進んで無いのか、それとももうとっくに過ぎ去ってしまっているのか…全く分からない。
 時間を確かめなければ。でも怖くて無理だ、出来ない。もしとっくに『20時』を過ぎていたら? それで海馬がまだ帰って来ていなかったら? もう二度と…オレの元に帰って来なかったら?

 怖い…っ!! どうしよう…怖過ぎる…っ!!

 半分泣き出しそうな気持ちで自分の身体を縮ませた時、背後で玄関の鍵が開く音がした。次いでドアが開閉する音が聞こえ、誰かが靴を脱ぎリビングへと遣って来る。そしてオレの背後で立ち止まり意外そうな声を出す。

「貴様…。何をやっているのだ…?」

 海馬の声だった。今聞こえたのは確かに海馬の声だった。
 海馬が…帰って来てくれた…っ!!

「この箱は何だ…? って、ケーキじゃないか! こんなところに出しっぱなしにするな。あぁ、やっぱり…。せっかくの生クリームが溶けているぞ」
「か…海馬ぁ…っ!!」
「城之内…? な…? な、何で泣いているのだ!? 一体どうし…っ」
「海馬ぁーっ!!」
「うわっ…!!」

 オレの泣き顔に一歩引いた海馬に飛びついて、細い身体をギュウッと強く抱き締めた。何だ何だと戸惑う海馬を無視してワンワン泣いて、「大好きだ」とか「愛してる」とか「恋人になってくれ」とか、もう滅茶苦茶に告白しまくる。オレの告白に海馬は一瞬反応してたけど、数秒後にはもう冷静になって混乱したオレを落ち着かせる事に必死になっていた。

「分かった。貴様がオレを好きなのは分かったから落ち着け…っ。とりあえず何故泣いているのかを教えてくれないか?」
「にっ…にじゅう…じ…には…かえるって…おまえ…っ」
「あぁ、書いたな。オレもお前と同様、仕事の関係で呼び出されたのだ。で? それがどうした?」
「にじゅ…じっ…に…っ。ち…ちゃんと…もど…って…こない…かと…」
「戻って来ているではないか。今何時だと思っているんだ。まだ十九時半だぞ」
「かっ…かのじょ…が…っ。もどって…こな…くて…」
「彼女? 貴様の前の彼女か?」

 海馬の問い掛けに必死になってコクコクと頷く。

「かいもの…に…いって…。にじゅ…じに…もどるって…めも…が…あって…。でも…もどって…こなくて…」
「二十時に戻るとメモがあったのに…戻って来なかったのか?」

 海馬の言葉に何度も何度も頷きながら、オレは必死で訴えかけた。

「でも…それは…もういい…んだ…。ほんと…に…こわいの…は…、おまえに…すてられる…こと…」
「オレに…?」
「にねんまえ…おれ…すてら…れて…。まじで…かなし…く…て…。も…かい…すてられ…たら…もう…むり…。おれ…たちなおれ…ない…っ」
「城之内…」
「もう…すてるな…っ! おれを…すてるな…っ!!」

 しゃっくり上げながら何とか本心を伝える。オレはもう必死だった。海馬に捨てられたく無くて、必死になっていた。
 やがて…暫く押し黙っていた海馬が、クスッと笑ってオレの身体を抱き寄せてくれた。そして宥めるように優しく背中を叩きだす。

「済まんな…。存外に…悲しい想いをさせていたようだ…」
「海馬…っ」
「三年待てないなら、無理に待たすより別れた方が良いと思ったのだ。最初は悲しくても、その内可愛い彼女でも見付けて…幸せになってくれるのでは無いかと。そう思ったのだ。けれどそれが…何よりお前を悲します結果になってしまったようだな」
「海馬…オレ…っ」
「もう何も言うな。約束する。もう二度と離れないと…約束するから」

 そう言って海馬はオレから離れると、いつものメモ帳を取り出してペンを握った。そしてそこに何かをスラスラと書き、オレに手渡してくる。
 流れる涙を手の甲で拭いながら、オレは手渡されたそのメモを見てみた。そこにはいつもの可愛い丸文字でこう書かれていた…。

『海馬瀬人は城之内克也の側を二度と離れない事を誓います』

 可愛らしい丸文字でくそ真面目に書かれたその一文に、思わずプッと吹き出した。
 何だコレ。超可愛いんですけど。

「笑うな。せっかく書いてやったのに」
「わ…笑ってないぜ」
「嘘吐け。笑ってるくせに」

 あぁ…うん、悪いとは思ってる。お前が真剣にこの文章を書いた事は分かるし、オレもそれを真摯に受け止めたいんだけど…。だけどゴメン。笑いが止まらないんだ。
 幸せで幸せで…幸せ過ぎて、笑いが止まらないんだよ…。ついでに涙も止まらない。せっかく止まりかけてたのに…どうしてくれるんだ。


 目を腫らしてボロボロ泣きながら幸せ笑いをしているオレと、ブスッと不機嫌そうにしながらも真っ赤な顔で照れている海馬。奇妙な空気の中にも幸せは漂っていた。
 こうしてオレ達は、再び新たな一歩を踏み出す事に成功した。海馬と共に毎日を暮らしながら、オレは今でもあの愛しい丸文字に囲まれて過ごしている。オレを安心させる、大好きな可愛らしい丸文字。海馬の心が籠もった文字。
 そしてオレ達を繋ぎ合わせたあの『20時には帰る 瀬人』というメモと、その後に書かれた誓いの一文は、今でもオレの宝物になっている。
 あの誓いがある限り…オレ達はずっと愛し合っていけるんだと、そう信じていられるんだ。


End.

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二礼しげみ様/小春日和

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