きれいな
2010.02.14 


※城之内が海馬に暴力をふるう描写のある悲恋話です。苦手な方はブラウザバックでお戻りください。



あの日、3学期の初めの日、城之内が挙手した。冷蔵庫のような教室には霜が降りていた。
「俺、席交替していいぜ。目、いいから」
 最後列のクラスメイトに笑いかける。室内だというのに、城之内の吐いた息は白く浮かんでいた。
「こいつの隣、やだし」
 俺にちらりとも目を向けず、城之内はさらりとそう言った。
 そんなことがあったから、今日の出来事は、まったく不意の一撃だった。

*

 今日の2限が体育だということを、知っていて俺は遅刻する。無人の教室に、開けっ放しの窓。グラウンドを見下ろせば、奴はすぐに見つかる。肌色を探せばいいのだ。リユーズで上下3800円の、指定ジャージを奴は持っていない。小正月の校庭で、両の腕と脚をさらし、へんてこな体操にいそしんでいる。その肌は粟だっているだろうか。冷えてかさついているだろうか。くるぶし、ふくらはぎ、ひざがしら。
 最前列の自分の席にかばんを置き、ふうと漏らした。窓から吹いた風がその白い息を流し、教室の後部へと送る。
 そして俺は、飛んでいった自分の息を拾いに行ったのだ。奴の席のあたりをくるくると、辻巻いている俺の息を。
 城之内の制服は冷たかった。やぶれてほつれて、ボタンも取れかけだった。抱え上げて、鼻をよせて、切れた糸を見つめた。頬をうずめたかもしれない。それでも奴の匂いはしなかった。
「なに、してんだよ」
 ――息を呑んだ。
「なに、お前、俺のストーカー?俺のこと好きなの?」
 振り向かなかったのは覚えている。だが、頷いたかどうかは覚えていない。
「まじかよ、はは、付き合ってやろうか?」
 心臓が止まる、まったく、不意の一撃だった。

*

 背中で城之内を見つめる日が続いた。最後列の奴が、最前列の俺の後ろ頭を見ているはずもなかった。それでも俺は背中で奴を見つめた。背中で奴とその仲間の会話を聞いた。
 俺の背中が、ゲームセンター、という音声を感知した。だから今日は水曜日だ。俺の恋人は今から、遊戯とふたりで、そこへ行くのだ。
「週一の休みくらいゆっくりしたら?」
「や、俺は、遊戯といる時が一番楽しいから」
 俺の視界に、城之内が映った。振り向いたのは、何日ぶりだろうか。遊戯も、城之内も、ぽかんと俺を見上げている。
「城之内、ゲームセンターに行くのか」
「そうだけど」
「俺と、帰らないか」
 えっ、とこぼしたのは、ほぼ真上を向くかたちで俺を見上げている遊戯だった。大きな目が、どうして、と言っている。
「付き合っているから…」
 力強く言ったつもりだった。視界には俺の革靴が映っていた。朝に飲んだコーヒーが、まだ口の中をぐるぐる泳ぎ回っている。
 城之内が、遊戯に何か言ったらしかった。俺は城之内の背中を追いかけた。

*

 明らかにパンクしていた。車輪の一回転ごとにがたんがたんと、打ち付けられる尻が痛い。びゅうびゅう、左右を走る冷たい風が耳を切る。
「ちゃんとつかまれよ、吹っ飛ぶぞ」
 城之内の脚がぐんぐんと、力強くペダルを踏み込むのを見ていた。ひと漕ぎごとに、俺のからだががくんと跳ねる。規則的なリズムで、城之内の運転が俺を揺さぶった。
「家、どこだっけ?」
「…なんだ?」
「いーえ!どっちだ!?」
 くいくい、しがみついた背中の、右側の裾を引っ張った。がりがりと音がして、自転車が右折する。変形したかごに、錆び付いたベル、切れたブレーキ。いつから愛用しているのかと、聞いてみた。
「これ?先週、拾った」
「拾った?」
「いいよこいつ、オンボロで」
「オンボロのどこがいい。そうだ、お前、そろそろ誕生日だろう」
 俺が新しい自転車を、と言おうとしたところで、下り坂になった。俺たちはぐんと加速する。
「親父もな、同じこと言って。16の誕生日プレゼントは赤のMTBだった」
「MTB?」
「マウンテンバイクだよ、捨てたけど」
「捨てた?故障したのか?」
「違うよ、きれいだったから」
 ならばなぜ、と聞こうと口を開くと、城之内がサドルから尻を上げてぐんとペダルを踏み込んだ。
「舌噛むぜ、黙ってな!」

*

 休日の朝はとても冷たい。一人の目覚めと同時に数字をかぞえるのが、俺のきまりごとになっていた。今日は、11。城之内と付き合い始めてから、11日目の朝だ。
 一度だけ、丈の短くなったズボンの裾から、城之内の骨ばったくるぶしが覗くのを見たことがある。今日誕生日を迎えた、17歳の肉はきっと厚くて、冷たいのだ。
 目を閉じて頭まで布団にもぐりこむ。俺の右手しか知らない部分を握るため、下着に腕を差し入れた。

*

 弟いわく俺は、控えめに言えば、痩せたらしかった。城之内はたまに俺を見てくれるようになった。屋敷に来たのも今日で2回目だ。
「やつれたな」
 どこか少し満足そうに、城之内は言う。近づいて、俺のタートルネックの袖をまくった。
「傷とか、ないんだ」
 俺の腕を取って、まじまじと見つめる。城之内が身をかがめると、ぷちんと音がして、制服の尻ポケットのボタンが飛んだ。俺のほうに転がってきたので拾い上げようと腰を折ると、視界がぐるりと回転した。背中の骨が床にぶつかって痛い。城之内の肩ごしに、部屋の照明が光っている。
 また、ぷちんと音がした。俺の右腕に城之内の犬歯が食い込んでいる。てらてらと糸を引いて、唇が離れた。血がにじみ、歯形が浮かぶ。
「俺、海馬にチンポ入れてみてえ。なあ、いいだろ」
 血を見るのは久しぶりだった。

*

 真昼の部屋で、城之内はカーテンを閉め、暖房を切った。城之内の裸は俺と違った。
「お前、きたないとこ無いんだな」
 ふくらはぎに噛み付かれた。両腿に爪が食い込む。腋、首、胸、腹、体中に犬歯が刺さる。ぷくりと血の玉が浮いて、赤い蛭の舌がそれを舐め取った。
 しばらくそんな創作行為が続いた後、城之内は身を起こし、俺のからだを見下ろした。
「駄目だ」
 勃起しているのは俺だけだった。玉の血が表面張力に見放され、たらりと腹からこぼれた。
「お前、きれいだな」
 うんざりしたように、どこかあきらめたように、城之内は吐き捨てた。

*

「城之内、そんな、そんな」
「黙れ…、お前は寝てろ、」
 目を覚ますと排泄孔に城之内がねじ込まれていた。城之内は息を止め、鶏を絞めるような顔で強引に腰を進めている。
「は…あ、城之内、城之内…」
 止めていた息を吐き出し、下肢を硬直させたまま、城之内は額の汗を拭った。二色の陰毛が混じり合うのを眺めながら、肩で息をする。
「俺のチンポ、クソみてえに、お前ん中に入ってるよ、はは…」
 血も凍るような笑みだった。

*
 
 俺が激痛に耐える間、城之内は目を瞑って腰を振っていた。ばちばちと肉の当たる音が飛び散る。
「ふ、ぅう…、城之内、」
「うる、さいっ、黙ってろ、」
「城之内、あ、明日は…」
「…っう、」
 城之内が奥で震えた。開けっ放しの口からよだれがこぼれる。すかさず引き抜こうとする腰を、脚で引き止めた。
「なに、してんだよ…」
「城之内、明日は、14日だから…」
「ああ?」
「恋人だから、城之内に、渡したいから…!」
 鈍い音がした。力任せに内臓を殴り潰された。俺の上で、唾と怒声を吐き散らす。
「てめえをブッ壊してえんだよ!ブッ壊れちまえよ!!」

*

 城之内は例の、スクラップのような自転車に乗っていた。ひしゃげた車輪が回転するたびからだが揺れている。切れたブレーキのかわりに足でコンクリートをこすり、俺の前に止まった。
「俺の家、勝手に調べたの」
 怪訝さを隠そうともせず、こちらを睨みつける。俺はかばんに手を入れた。
「渡しに来ただけだ」
「いらねえよ…うまい菓子は、嫌いなんだ」
 強い風が吹いた。自転車から錆のにおいがする。俺は両手で、小箱を差し出した。
「うまくは、ないと思うから」
「え?」
 大の男が菓子を手作りする、その滑稽さに惹かれたのか、城之内は箱を受け取った。3回焼き直したクッキーを。
「なんだ、うまそうじゃん。お前はほんと、だめなとこって無いんだな」
 どこかあきれたように、城之内は笑った。チョコレート色のクッキーをひとつ手に取って、色んな角度から眺めている。
「きれいだな」
 城之内がそれを箱に戻そうとした時、俺のかばんから一枚のカードが落ちた。ひらひらと風に飛ばされて道を走るそれを、俺は慌てて追いかける。
「え?それお前の?」
「いや、これはいいんだ、お前に直接渡せなかった時のために書いてきた、ただのメモ…」
「いいから見せて」
「か、海馬より、しか、書いていないぞ」
「いいから」
 俺も少々ムキになってしまったが、城之内はそれ以上だった。スタンドの折れた自転車をすっ倒して歩み寄り、俺からメモをひったくる。
「…これ、お前が書いたんだ」
 できれば見せたくなかった。字が汚いのは自分でもわかっている。それに、書いているのは本当に名前だけなのだが、「海馬より」ではなく「瀬人より」と書いたのだ。恋人を気取って書いたものの、急に恥ずかしくなり、とっさに嘘をついてしまった。ああ、すべて見透かされてしまう。
「お前、字、へたなのな…」
 城之内は間近で――文字通り間近で、睫毛にメモが付くような距離で、俺の字を見ている。そしてそのまま、動かなくなってしまった。
「城之内…?」
 メモの後ろの瞳を覗き込もうとすると、顔を背けられてしまう。
「だってよぉ、だって…そんなの、知らなかった…」
 誰に言うとでもなく、城之内は呟いていた。そしてそのまま小さく口を開けて、右手に持ったままだったクッキーを放り込む。反応が見たくて再び覗き込むと、城之内は思い切り舌を出した。
「おえ、なか、焦げてる!」
「そ、そんなはずは…」
 城之内は何か言い返したようだったが、ほとんど聞こえなかった。メモの替わりに顔に袖を押し当てて、本格的に黙り込んでしまう。
「すまない城之内、そんなにまずかったか?」
「ああ…めちゃくちゃ、まずい」


End.

この作品に関してご意見・ご感想等ありましたら執筆者サイトまで↓
そーす/プラシーボちゅっちゅ!

Back