愛される資質
2010.08.11
「え、海馬ってこんな字書くの?
なんか可愛いなあ。」
何気なく発したその一言がどんな重みを持っていたかなんて、オレには想像もつかなかったんだ。
オレと海馬は、付き合っている・・・筈だった。
いわゆる、恋人同士ってイミで。や、男同士なんだけどな。
一方的に天敵扱いしてきた(向こうからは歯牙にもかけられてなかった)海馬瀬人に恋をしたことを自覚した時は、そりゃもうこの世が終わるかと思うくらい落ち込んだけど、持ち前のガッツで立ち直って、玉砕覚悟で告ったのが一ヶ月前。
何の気紛れか、すんなりOKしてくれた時には舞い上がるくらい嬉しかったけど、問題はその後だった。
前みたいにオレをあからさまに馬鹿にするようなことはなくなったけど、海馬は少しも心を許してはくれなかった。
オレ的にはガラでもないくらい、ことあるごとに「お前の目ってキレイだよな」とかホメタタエてみたり、必死にかき口説いてるつもりなんだけど、何を言っても「そうか」なんてクールに受け流されちまうし。
頬染めて笑ってほしいとまでは言わねえけど、仮にもコイビトにキレイとかなんとか言われたら、もうちょっと嬉しそうにしてくれてもいいんじゃねえかなあ、とか。
それどころか、事態はどんどん悪化していってる気がする。
海馬の表情は、日を追うごとに凍りついていくみたいで、どんどん遠くなっていく。
決定的だったのは、一昨日の夜。
晴れて迎えた初めてのベッドインだった。
迫ったら案外あっさり受け入れてくれたのはよかったが、身体は許してもやっぱり心は許してくれなかった。
オレとしては、ヤリたかったのは山々なれど、それ以上に、心に近づきたかったのだけれど。
・・・アイツは、ヤッてる間中、じっと氷みたいな青い瞳でオレを見据えたまま、一っ言も、呻き声すらも、上げなかった。
レイプしてるわけでも強要してるわけでもないのに、なんでこんな仇みたいに睨まれなきゃなんないんだろうって。
採点でもされてるんだろうかオレ、って、思わず途中で萎えそうになっちまった。
「オレ、お前の兄サマと、もうダメかもしんない・・・」
そんなこんなで、かなり限界を感じてたオレは、思わずモクバに弱音を洩らした。
モクバは悲しそうに眉をひそめて、言う。
「城之内、もう兄サマのこと、好きじゃないの?」
「いや、すっげ好きだけど。むしろ、海馬の方がさ・・・」
そう、正直、海馬が何でオレと付き合うことを承諾したのか、理解できない。
なんか、とても好かれているとは思えないのに。
だけど、そんなオレの気を知ってか知らずか、モクバはオレの背を勢いよく叩いて笑った。
「元気出せよ、城之内ぃ!
兄サマは人付き合い不器用だけど、好きでもないのに男と付き合うとかしないと思うぜい?
ホラ、兄サマ8時くらいには帰ってくるらしいからさ、それまで新作ゲームのテストプレイでもやってろよ、持ってきてやるから!」
励ますつもりか、やたらサービスよく飛び出していくモクバが、オレの手に一枚の紙片を押し付けていく。
それを見たオレは、目が点になった。
『20時には帰る 瀬人』
それだけが記されたモクバ宛のメモ。
ただそれだけなんだけど。
「え・・・」
問題は、その字だった。
それは、あの海馬の白い指と流れるみたいな仕草から生み出されたとはとても思えないほど、ぎこちない字だったんだ。
書きなぐったから汚い、とかそういう次元の話じゃない。
なんかすごい子供みたいな、そんで女の子みたいな、バランスが悪くて、筆圧の高そうな文字。
字、書き慣れてない奴が一生懸命書きました、的な。
「海馬って、こんな字書くの?」
呆然と呟いた後で、なんだか思わず口許がほころぶ。
アイスブルーの瞳の、キレイなキレイな海馬。
死ぬほどアタマよくて、何でもできちまって、完璧をカタチにしたみたいな海馬。
その海馬が、こんな人間くさい字、書くなんて。
「なんか、可愛いなあ・・・」
オレは、オレに書いてくれたメモでもないのに、何故か嬉しくなって、ぽつりと呟いた。
改めて、海馬のこと好きだなあ、って気持ちが沸き上がってきて、おもわずぽろっと言っちまったんだ。
その時、背後でカタリと小さな音がした。
モクバが出てったのと反対側にある、バルコニーに繋がるでっかいフランス窓越しに、海馬と目が合った。
ものすごい目を見開いて、真っ白な顔して、固まっている。
思わずオレは勢いよくソファから立ち上がって、窓を開けた。
いつから聞いてた?モクバに『ダメかも』って言ってたのも、聞いちまったか?!
「・・・海馬?」
いやな汗をかきながらも海馬に声をかけると、海馬は固まった表情のまま、絞り出すように言葉を紡いだ。
「今、何と言った」
「え?」
「メモを見た後だ。貴様、何と言った」
「あ、その・・・『可愛い』っつったヤツ?
いや、なんか、お前のキレーな指であんな字書くんだー、って意外だったからさ。
なんか、お前のこと可愛いなとか思っちまって・・・って、おい?!」
てっきり怒り出すのかと思ってたのに。
オレは、目の前の光景に声が出なかった。
海馬は。
真っ青な瞳を見開いたまま、いきなり、ぼろぼろと涙をこぼしたのだ。
「おいっ、海馬?!何で泣いてんの?!」
思わず肩を掴むと、海馬は思い切りオレの首に腕を回して縋りついた。
そのまま今度は、思い切り嗚咽を上げて泣き出す。
「え、兄サマ?!城之内、何兄サマ泣かしてんだよ?!」
「お、オレにも何がなんだかわかんねーよ!」
海馬の大泣きする声にメイドさんや執事さんまで集まり出しても、オレはどうすることもできなくて。
ただ呆然と、海馬の背中をポンポンしてやることしか、できなかった。
その後、ようやく『大泣き』状態からは落ち着いた海馬が、まだぐすぐす泣きじゃくりつつティッシュの山の前でぽつりぽつりと話してくれたことには。
海馬は、自分には『可愛い』と言ってもらえる資質がない、と思っていたのだ、そうだ。
要は、例の義理の親父さんの歪んだ教育に由来してるんだろうけど。
海馬は、有能で、美しくて、賢くない限り、誰にも必要とされないと・・・つまり、無条件に愛されることなんてないと、刷り込まれていたらしい。
振り返れば、海馬は小さい頃からなまじ何でも持っていたがために、親や施設の先生からなんかも、『瀬人くん、カッコいいわねえ』とか、『お利口ね、瀬人くん』とは言われても、ただ『可愛い』と言われることはなかったらしい。
それに対して、モクバはしょっちゅう『可愛い』と言われ続けていたらしい。
(『あの』剛三郎ですらがモクバを『可愛い』と言ったことがあって、それが衝撃だったのだと海馬は打ち明けた。)
まあそれだけだったらよくあるお兄ちゃんの不満、くらいの微笑ましいエピソードなんだけど、歪んだスパルタ教育が重なったことで、海馬にとってはとんでもないトラウマになってしまったのだ。
だから、オレが海馬をキレイだのなんだの褒めてたのも、却って『キレイでなくなったら愛されない』んだと追いつめてしまっていた訳で。
ぶっちゃけ、エッチのときでさえ、感じて乱れたら見苦しくなるんじゃないかって怖くて、歯食いしばって耐えてたなんて聞かされたら、もう可愛くて愛しくてどうしようもなくなるっての!
ていうか、もしかしてオレってすげー愛されてた?!
そんなわけで。
この事件以来、ようやくオレと海馬は、名実ともに『恋人同士』になれた、気がしている。
ベッドでもすっかり素直に喘いでくれるようになった海馬は愛しさもひとしおで、オレが『可愛い』を連発しては、海馬は悦に入っている。
まあちょっと難を言うなら、あれ以来海馬がえっらく泣き虫になっちまった、ということで・・・
オレとちょっとした口喧嘩をしちゃ、泣く。
まあ、これまでそんだけ不安だったのをおくびにも出さずに飲み込んでたんだなあと思えば、素直に言ってくれるようになったのは嬉しいんだけど、バイトで一週間会えないって言ったから泣く、とかは正直ちょっとキツいもんがある。
(つーか、都合合わねえのは半分以上お前のせいだっつーの!)
海馬のトラウマを聞いちまったメイドさん連中がすっかり同情しちまって、海馬が泣くたんびにすげー甘やかすから、海馬の泣き癖は酷くなる一方だ。
一度、「可愛くねえ!」って言っちまった時なんかはホント大変だった。
一日泣いて引きこもっちまった海馬を宥めるメイドさん達のオレを見る視線が痛すぎで!!オレの方が泣きたい。
KC本社ビル前で三体のブルーアイズ像を背後に従えながら「貴様はオレを可愛いと思っていないのだな?!」って泣きながら絶叫されたときは、このまま穴掘って即身仏になろうかと思った。
『可愛いと思ってないのか』って・・・『オレを愛してないのか』って言われるより恥ずかしいから。
ポケットから例のメモを取り出して眺めながら、そんなことをつらつらと思い出していると、「何をニヤニヤしている」と後ろから声を掛けられた。
「いや、お前ってやっぱ可愛いなーって思って。」
そう言っただけで、険しい表情をコロッと緩めて幸せそうに微笑むコイツを見てたら、どんな目に遭わされてもやっぱ可愛いよなあ、って改めて思う。
ていうより、困らされるから余計、可愛いのかもしんない。
馬鹿な子ほど可愛いって言うけど、そんなカンジ?
海馬、心配しなくても、『可愛がられる資質』ってヤツ、お前、充分持ってるんだぜ?
海馬がすっげー可愛いってこと。
それをオレに教えてくれた、いや違うな、オレが海馬を可愛いって思ってることを海馬に伝えてくれた小さな偶然に感謝しながら、オレは歪んだ文字の踊るメモを、そっと胸ポケットにしまい込んだ。
End.